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はじめに
2018年。
私は、不安階層表の最難関として位置づけていた「沖縄出張」を達成しました。
各駅停車の普通電車から始まった認知行動療法。
快速電車
新幹線
飛行機
長い時間をかけて積み重ねてきた成功体験によって、
「もう飛行機は大丈夫かもしれない」
そう思えるところまで来ていました。
もちろん、不安が完全にゼロになったわけではありません。
それでも、
“乗れば何とかなる”
という感覚は確実に育っていました。
だからこそ、2020年の年末年始帰省も、私は比較的前向きに考えていました。
久しぶりの実家帰省。
長年、飛行機に乗れなかったことで、高齢の両親には寂しい思いをさせてきました。
ようやく普通に帰省できるようになった。
ここまで回復できた。
そんな喜びもありました。
しかし、この帰省が――
私の認知行動療法の歴史における、大きな転機となったのです。
出発前までは“好調”だった
今回、自分でも不思議だったのは、出発前の予期不安がほとんど無かったことです。
以前の私は、飛行機出発の何日も前から疲弊していました。
しかしこの時は違いました。
自宅でも普通に過ごし、
羽田空港ではランチを食べ、
出発ゲートを通過し、
機内へ搭乗。
ここまで、驚くほど順調だったのです。
「本当に回復してきたのかもしれない」
そんな感覚すらありました。
機内Wi-Fiもあり、妻とLINEで連絡を取りながらリラックスしていました。
私は妻へ、
「機内座席につきました。もうすぐ出発します」
と送っていました。
この時点では、本当に普通だったのです。
“離陸後”に突然襲ってきた強烈な不安
ところが、今回は今までと違いました。
これまでの私は、搭乗前〜離陸前に不安が強くなり、
「乗ってしまえば落ち着く」
というパターンがほとんどでした。
しかし今回は、離陸してしばらく経ってから突然、不安が襲ってきたのです。
しかも、その感覚が今までと違いました。
私は妻へ、こうLINEしました。
「珍しく、離陸してしばらく経ってから高所恐怖症みたいな強い不安を感じました」
本当に、“高い場所に取り残されている”ような感覚でした。
地上から切り離されている。
逃げ場が無い。
落ちたら終わり。
そんな感覚が、一気に押し寄せてきたのです。
「もう無理だ」
その言葉が頭に浮かびました。
“ここから逃げ出したい衝動”との戦い
この時、本当に苦しかったのは、
「ここから逃げ出したい衝動」
でした。
もちろん、実際に暴れたり騒いだりしたわけではありません。
しかし、
「今すぐ飛行機を着陸させてほしい」
「だめなら扉を開けて降りたい」
という衝動が、ものすごい勢いで湧き上がってきたのです。
私は必死にそれを耐えました。
とりあえず席を立ち、トイレへ向かいました。
少しでも環境を変えたかったのです。
ワイパックスも飲みました。
しかし、今回は薬が効いている感じがほとんどありませんでした。
それがまた、不安を強めました。
「頼りにしていたものが効かない」
そう感じると、人はさらに追い詰められます。
“今”を耐えることで精一杯だった
私は妻へ、次々とLINEを送りました。
「今の体験がかなり苦しい」
「帰りはどう帰ろうか不安」
「搭乗までは好調だったのに悔しい」
頭の中は、完全に“帰り”の不安へ支配され始めていました。
まだ札幌へ向かっている途中なのに、
既に“帰京できるのか”
を考え始めていたのです。
これは、パニック障害では非常によくある状態だと思います。
人は、“今の苦しさ”だけでなく、
「またこの苦しさを味わうかもしれない未来」
にも苦しみます。
そして、不安は未来へ未来へと連鎖していくのです。
それでも私は、何とか耐えました。
青森上空。
あと23分。
苫小牧上空。
降下開始。
強い揺れ。
再び不安。
まるで、不安の波に何度も飲み込まれる感覚でした。
「普通に見える苦しさ」
最終的に、私は何とか札幌へ到着しました。
妻へ送った最後のLINEは、こうでした。
「本当にしんどい1時間半だったけど、なんとか異常行動を起こすことなく、他人目には普通に終わりました」
この“他人目には普通”という感覚。
これは、パニック障害の苦しさのひとつだと思います。
周囲から見れば、ただ飛行機に乗っていただけ。
静かに座っていただけ。
でも本人の中では、必死の戦いが起きている。
逃げたい。
叫びたい。
降りたい。
その衝動を、全力で抑え続けている。
この消耗感は、経験した人でないとわからないかもしれません。
札幌滞在中、“帰り”への予期不安が始まる
問題は、到着後でした。
今回の苦しい体験は、
“復路への強烈な予期不安”
へ変化していったのです。
しかも、今回は今までと違い、
「搭乗前は平気だったのに、乗ってから崩れた」
という体験でした。
つまり、
「乗る前に落ち着いていても安心できない」
という新しい恐怖が生まれてしまったのです。
これは非常に厄介でした。
今まで頼りにしていた“成功パターン”が崩れた感覚でした。
“強気”と“弱気”を1日中行き来する状態
12月29日。
私は父と外出しました。
しかし頭の中では、常に“帰り”のことを考えていました。
飛行機に乗れるのか。
いや、無理ではないか。
でも元旦には気分が変わるかもしれない。
いや、絶対無理だ。
青函トンネルすら怖い。
私は妻へLINEしました。
「強気と弱気を、1日のうちに行ったり来たりしている」
本当に、その通りでした。
これは“迷っている”というより、
脳が不安によって振り回されている状態
だったのだと思います。
ついに布団から出られなくなった
そして12月30日。
私は、完全に疲弊しました。
布団から出られなくなったのです。
頭痛。
倦怠感。
風邪のような症状。
もちろん、実際に体調も悪かったのかもしれません。
しかし、精神的疲労もかなり大きかったと思います。
私は妻へ、
「今は“落ちない”のが精一杯」
と送りました。
この表現は、今振り返っても非常にリアルだったと思います。
“元気になる”どころではない。
“悪化しないよう耐える”
だけで限界。
そんな状態でした。
「飛行機をやめる」と決めた瞬間
そして12月31日。
私は限界を迎えました。
北海道新幹線も満席に近く、
交通手段を考え続け、
疲弊しきっていました。
私は妻へ送りました。
「もう限界だと自覚し、飛行機ではなく新幹線で帰ることにしました」
すると、不思議なことが起きました。
飛行機を回避すると決めた瞬間――
気持ちが一気に楽になったのです。
これは、回避行動の恐ろしさでもあります。
回避は、短期的には“強烈な安心”を与えます。
だから脳は学習します。
「飛行機を避けたから助かった」
と。
しかし、その代償として、
「飛行機=本当に危険」
という誤学習が、さらに強化されてしまうのです。
青函トンネルですら“勝負”になった
1月1日。
私は特急と新幹線を乗り継ぎ、東京へ向かいました。
しかし、精神状態はかなり不安定でした。
停車のたびに降りたくなる。
強気と弱気が入れ替わる。
落ち着かない。
函館での乗り換え。
青函トンネル。
普通の人には何でもない移動が、自分にとっては“大勝負”になっていました。
そして皮肉なことに、青函トンネルで落ち着けたきっかけは、
隣の乗客への怒り
(当時の私が正気に戻るくらいの乗車態度の人でした)
でした。
不安より別の感情が強くなることで、不安が押しのけられたのです。
しかし私は、その時こうも感じていました。
「こんな不安解消法には再現性がない」
と。
“これをすれば大丈夫”が崩れた感覚
この頃の私は、
「これをやれば安心」
という感覚を失い始めていました。
呼吸法
五感法
筋弛緩法
抗不安薬
今までは、どれかが支えになっていました。
しかし今回は、
「何をしても、また崩れるかもしれない」
という感覚が強かったのです。
これは、かなり苦しかったです。
回避行動を選択した代償
こうして私は、何とか東京へ戻りました。
しかし、この出来事を境に、
私が認知行動療法で積み上げてきた成功体験は、
“ゼロに戻ってしまった”
ように感じています。
もちろん、回避したから人生が終わったわけではありません。
あの時飛んでいたらどうなっていたかなど、誰にもわかりません。
IFを考えても意味はありません。
ただ、ひとつだけ確かなのは、
“回避によって得られた安心は、次の不安を強くする”
ということでした。
おわりに
各駅停車の普通電車にも乗れなかった頃から始まった認知行動療法。
快速電車
新幹線
飛行機
私は確かに、長い時間をかけて前へ進んできました。
しかし、パニック障害の回復は、一直線ではありません。
良くなる時もある。
後退する時もある。
そして時には、
「もう克服したと思っていたもの」
が再び牙をむくこともあります。
この2020年の帰省は、
私にとって“再発”というより、
「回避行動の恐ろしさを再認識した出来事」
だったのかもしれません。
次回以降は、この後退をどう立て直していったのか。
認知行動療法をどのように再調整していったのかを書いていきたいと思います。
