体験記

回復しかけた心が、音もなく崩れた日|過重労働で再発したパニック障害

2026年5月5日

専門クリニックに通い始めてから約3年。

あれほど日常を支配していた不安発作や予期不安は、
いつの間にか“気にしなくてもいいレベル”まで落ち着いていました。

もちろん、飛行機や新幹線にはまだ乗れません。
でも——

・普通電車なら通勤できる
・家族と普通に会話できる
・休日に外出できる

それだけで、十分に「回復」と呼べる状態でした。

小さな幸せを取り戻した日々

転居した宿舎には駐車場があり、車も購入しました。

妻の実家への帰省や、家族での外出。
“移動手段がある生活”が戻ってきたのです。

札幌の実家には行けません。
でも、当時は本気で思っていました。

「いずれ車で渡れる青函トンネルができるだろう」

今思えば、ずいぶん都合のいい未来予想ですが、
それでも、希望を持てていたことが大きかったのです。

乗り物のことさえ考えなければ、
私は“普通の生活”を取り戻していました。

人事異動で、すべてが崩れ始める

状況が一変したのは、ある年度の人事異動でした。

それまで私は、研究開発系の部署に所属していました。
比較的自由で、個人の裁量も大きい環境です。

しかし新しい部署は、いわゆる「行政系」。

そして——
言葉を選ばずに言えば、完全にブラックでした。

壊れていく生活

まず、睡眠がなくなりました。

不眠:
24時間勤務が基本。
椅子に座ったまま数分意識を失うことはあっても、
「横になって寝た」という記憶がほぼありません。

次に、帰る場所がなくなりました。

不休:
家に帰れない日が続きました。
妻や子どもに会えない。
それだけで、心の回復力は一気に削られます。

そして、食事も壊れました。

不食:
食べる時間がない。
そのうち「食べないこと」が当たり前になる。
やがて、時間があってもサラダしか受け付けなくなりました。

3ヶ月で体重は15kg減。

今振り返れば、明らかに異常です。
“頑張っている状態”ではなく、
完全に“壊れ始めている状態”でした。

それでも仕事は回ってしまう

怖いのは、これだけ崩れていても
仕事自体は「回ってしまう」ことです。

周囲から見れば、

「忙しいけど頑張っている人」

に見えていたと思います。

だから、止まれない。

一度、意識を失って搬送されたことがありました。
点滴を受けて、そのまま職場に戻りました。

当時は、それを「当たり前」と思っていました。

決定打は“出張”だった

そして、最後の引き金が引かれます。

それが——
出張業務でした。

北海道から九州まで。
飛行機や新幹線を使う長距離移動。

しかも、それを「自分で計画する」立場。

普通の人にとっては、むしろ嬉しい仕事かもしれません。
現場を離れられる、気分転換になる。

でも私にとっては違いました。

それは、
“逃げ場のない密室に自ら入っていく計画”でした。

心が限界を超えた瞬間

出張計画を作りながら、私は想像していました。

飛行機の中で発作が起きる自分。
新幹線で逃げ場を失う自分。

そのイメージが、現実のように迫ってきます。

そして——

その先の記憶が、ありません。

気がついた時、私は自宅のベッドにいました。

動けない。

起き上がれない。

誰にも会いたくない。

8年前、初めてパニック障害を発症した時と、
全く同じ状態でした。

「診断書」という転機

私は病院へ行き、
初めて診断書を書いてもらいました。

それまで、どこかで思っていたのです。

「まだ自分は大丈夫だ」と。

でもこの時、はっきりと認めました。

これは“努力不足”ではなく、“病気”だと。

その後、夏に異動が決まり、
それまでの間は休暇となりました。

回復のプロセス

最初の1週間は、ほぼ何もできませんでした。

ただ、寝る。

その後、少しずつ——

・家の周りを散歩
・プールで軽く泳ぐ
・図書館に行く

日常を取り戻していきました。

何より大きかったのは、

家族と普通に過ごせること

でした。

会話できる。
同じ空間にいられる。

それだけで、十分だったのです。

出勤訓練という現実

約1ヶ月半後、出勤訓練が始まりました。

最初は「敷地内に入るだけ」。

正直、簡単だと思っていました。

でも実際は違いました。

足が止まる。
心臓が速くなる。
逃げたくなる。

「知人に会うかもしれない」

それだけで、動けなくなるのです。

このとき初めて理解しました。

“できること”は、環境変化で簡単に崩れるということを。

手放したものと、手に入れたもの

今回の出来事で、私は
いわゆる“エリートコース”から外れました。

でも同時に、
ある意味で解放されたとも感じました。

・無理をしなくていい
・人と同じでなくていい
・健康を優先していい

それまでの私は、
「あるべき姿」に縛られていました。

でもこの経験で、

「あるがまま」でいい

そう思えるようになりました。

振り返って思うこと

もしあのまま働き続けていたら、
おそらく私は壊れていたと思います。

いや、もしかすると——
もっと取り返しのつかないことになっていたかもしれません。

回復とは、一直線ではありません。

むしろ、

「戻る」「崩れる」「やり直す」
その繰り返しです。

でも、ひとつだけ確かなことがあります。

それは——

「壊れた経験は、生き方を変える力になる」

ということです。

次回は、
ここから再び前に進むために取り組んだ

「認知行動療法」と乗り物トレーニングの開始

について書きます。

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